すべての動きは波動を変えて行われているのです。動くために、周波数を変えるのです。動きという「幻想」を創るために、自分の周波数を変えているのです。 : バシャールの学校

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すべての動きは波動を変えて行われているのです。
部屋の端から別の部屋の端に行くときも、みなさんは自分の波動を変えています。
変えなければ行けないのです
(中略)
動くために、周波数を変えるのです。
動きという「幻想」を創るために、自分の周波数を変えているのです。
(中略)
みなさんは「今」にしか存在していないのです。
毎瞬毎瞬、結局「今」なんです。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.112より引用させていただきました。

動くために、周波数を変えることと、「今」にしか存在していないことが、私の中では上手く結びつきません。
その関係性にいまひとつピンときません。

でも、映画フィルムのコマのたとえなら、なんとなくイメージできます。

映画はそのフィルムが回っている時には、スクリーンに動きとして現れますが、その回転を止めた時、ただの一コマです。ただの静止画がそこにあるだけです。

フィルムの回転を遅くすれば、そこに動きというものは、もはや存在せず、ただ静止画のスライドショーがあるだけです。

映画における「今」は、スクリーン上に投影された静止画だけです。その一コマだけが常に「今」であり、それ以外は、存在していないのと同じです。

スクリーン上で動きと見えるものは、ただスクリーンに投影される静止画を次から次へと変えているだけです。
だから、スクリーン上で、部屋の端から別の部屋の端に行くには、その間を埋める膨大な静止画が必要であり、かつそれらの静止画を連続的にスクリーンという「今」に投影し続けなければなりません。

スクリーン上の動きは静止画が織りなす「幻想」であり。
映画の一コマ一コマには、全く動きはありません。
ただの静止画です。

今というのは常に静止画です。