意識をこっち(自分のほう)に使い出すと、本当に体験しているのは自分の中だけで、現実は中立で、使ったバイブレーションを手放せば、現実は変わってしまうことをわかってしまう。 : 『未来図 Part 1』をバシャール的に読む

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意識をこっち(自分のほう)に使い出すと、本当に体験しているのは自分の中だけで、現実は中立で、使ったバイブレーションを手放せば、現実は変わってしまうことをわかってしまう。 : 『未来図 Part 1』をバシャール的に読む

なぜなら、意識をこっち(自分のほう)に使い出すと、
本当に体験しているのは自分の中だけで、
現実は中立で、この使ったバイブレーションを手放せば、
現実は変わってしまうことをわかってしまうからです。

以上、関野 あやこ (著) 『未来図 Part 1』P.126より引用させていただきました。

テレビゲームのサッカーゲームをしたとき、それは体験と言えるのか?

サッカーを実際にした体験とは言えないが、サッカーゲームをした体験とは言える。
テレビゲームでは実際にそこにサッカーグラウンドはないが、サッカー(ゲーム)をしたという体験は残る。

夢の中の体験は体験と言えるかどうか?
夢を観た体験とは言える。
でも、夢の世界は存在しない。

以上で何を言いたいかと言うと、リアルな対象が存在しなくても、リアルな体験はできるということです。

夢の世界はどこにも存在しないが、夢を見たという体験はリアルなものである。

だからこの現実を実は自分の中でだけ体験していたとしても、それはあり得ることだ。

体験と言うものが自分の中だけで完結するものであるのならば、現実がただのウェーブであってもおかしくない、現実が中立であってもおかしくはない。

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