自己を否定すると、次に生じるのは自己防衛の力です。「失敗したくらいで、責めなくてもいい」と、エゴや反抗心が芽生え、自分が壊れるのを防ごうとします。 :『ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス』より

自己を否定すると、次に生じるのは自己防衛の力です。「失敗したくらいで、責めなくてもいい」と、エゴや反抗心が芽生え、自分が壊れるのを防ごうとします。

以上を、ヨグマタ 相川圭子 (著)『ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス』91ページより引用させていただきました。

おそらく、自分を真の意味で嫌いになることは出来ないんでしょうね。

というのは、嫌いの前提には好きがあるからです。
何かしら好きな要素が先になければ嫌いにはなれないです。

好きを好奇心に置き換えてもいいかもしれない。
一度それに関心を抱いたから嫌いになれるのであって、まったく無関心のものを嫌いにはなれません。

自分のことが好きだから嫌いになれるのであって、自分に関してまったく無関心なら、嫌いという感情は出てきません。

この文明では「憎しみ」が「愛」の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。真の愛の反対語は「罪悪感」です。(中略)自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。 : バシャールの学校

バシャールは愛の反対語は罪悪感だと言っています。
自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感……

自分自身の存在そのものの否定→それを存在しないものとして扱う→無関心

……となるように思います。

自分が嫌いだという前提には自分への関心があります。
自分に対して無関心であれば、嫌いという感情は出てきません。

自己の否定=自己への関心=自分のネガティブな面への関心=ネガティブ面へのフォーカス

自分のネガティブな面へのフォーカスは、同じくネガティブなエゴや反抗心の増長につながるのでしょう。

存在そのものの否定は、無関心あるいは無視となり、そこにはもはや愛はなく。
存在の否定は、ネガティブな関心あるいはネガティブなフォーカスであり、まだそこに愛はあります。