自分自身が、「ひとつの瞬間と次の瞬間は連続した瞬間である」という定義づけさえ与えなければ、「まったく別の、分かれた瞬間である」と見る目を養うことができます。 : バシャール ゴールドより

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自分自身が、「ひとつの瞬間と次の瞬間は連続した瞬間である」という定義づけさえ与えなければ、「まったく別の、分かれた瞬間である」と見る目を養うことができます。

以上、バシャール(チャネル:ダリル・アンカ) (著), 関野直行 (翻訳)『BASHAR GOLD(バシャール ゴールド)』P.194より引用させていただきました。

このバシャール・ゴールドという本が、当時出版されていたら、果たして受け入れられていただろうか?そう疑問に思えるほど、この本の内容がぶっとんできました。(^-^;

このいまの瞬間と、次の瞬間、あるいはその前の瞬間が、実は連続していない。
これはつまり、因果関係、原因と結果という関係は、時間と空間が存在して初めて存在する概念ということか?

過去も未来もなくただ永遠の現在がある状態において、そこには因果関係も、原因と結果という関係も存在せず、各瞬間が連続していると定義づけしたことによってはじめて生じた概念であろうか?

しかしそれにしても、「まったく別の、分かれた瞬間である」と見る目を養うことによってなにかいいことがあるのだろうか?このことについては、後の方の記事で扱うことになると思います。

……ということは、次の瞬間、私が億万長者になっていてもおかしくないと言うことか?
さらにその次の瞬間には、わたしは別の惑星に生まれかわっており、はたまたその次の瞬間には、恐竜に追いかけられていたり……瞬間が連続しておらず分かれているなら、次の瞬間に何が起こってもおかしくない気がする。(^-^;

MIL26053

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